サポータメッセージ:廣瀬俊朗さん

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あのエディー・ジャパンの創生期に、ラグビー日本代表キャプテンとしてチームを牽引し続けた廣瀬俊朗さん。
その重責をリーチ・マイケル選手に託した後も、2015年 ラグビーワールドカップメンバーとしてチームの勝利のために貢献、自らの情熱で南アフリカ戦の歴史的勝利を実現した廣瀬さんに、「スポーツ」と「国際交流」をテーマとして貴重なお話をうかがいました。
ラグビー界の発展のために。
――――― 当協会は、子どもたちを対象として「スポーツを通じた異文化理解」を促進していきたいと考えています。 日本ラグビーの最前線で活躍されている廣瀬さんに、まずは今日のラグビーを取り巻く環境についてお話ししていただきたいと思います。

廣瀬俊朗さん ラグビーがより人気スポーツになっていくには、次の3つの課題を克服していくことが必要だと思っています。
まず、中学生がプレーできる環境が必要でしょう。中学生になると部活動のラグビー指導者が不足しているため、小学生の間にラグビースクールでプレーしていた選手は学校でラグビーではなくて、違うスポーツを選択します。その結果、ラグビー人口が中学から一気にぐっと減ってしまうのです。小学生の間にラグビーを経験した子たちを大事にするためにも、指導者の養成が喫緊の課題だと思います。
次にラグビーを産業として成り立つようにすることではないでしょうか。今のラグビーの枠組みは企業スポーツです。エンターテイメントというよりもCSR(Corporate Social Responsibility)、つまり「企業が社会に対して責任を果たし、社会とともに発展していくための活動」という要素が大きく、社員士気向上のためにあるように感じます。エンターテイメント面にいかない理由としては、元々アマチュアであったこともありますが、チケット収入などを収入として受け取れる仕組みがないことに起因しています。この点に関して変わっていくことができれば、日本ラグビーも変わっていくのではないかと思います。協会側として議論していかないといけない問題となっています。選手自身も主体的に環境改善に向けて実働していく必要があると考えて、選手会を立ち上げました。
最後に、選手の引退後、つまりセカンドキャリア支援についても構築していくべきだという思いがあります。日本はスポーツ選手のセカンドキャリア支援が大きな課題です。ラグビーは、ずっと長く続けられるスポーツでもないと思うので、引退後のキャリアをサポートする仕組みが必要だと思います。仕組みを構築した上で、コーチや教師となる人、NPOや企業などで活躍する人、家業を継ぐ人などを増やして、若い選手のロールモデルを生み出していきたいと思っています。
子どもの可能性を広げるラグビー。
吹田RS時代の廣瀬さん吹田ラグビースクール時代の廣瀬さん
――――― 今、お話しいただいたようなラグビーに対する強い思いを持つ廣瀬さんを育てた子どもの頃のラグビー環境を教えてください。

子どもの頃の私は、ラグビーを純粋に楽しんでいました。運動することと仲間と何かを成し遂げることの楽しさであったと思います。小さいころに勝ち負けはそこまで大事ではなく、楽しむことのほうが大事だと思います。
私にはその頃のコーチから怒られた記憶がほとんどありません。上手にプレーできたらほめてくれる。このような指導がとてもよかったと思います。もちろん、子どもが規律を守らなければしっかりと指導されるべきでしょうが、プレーがうまくできなかったからといって怒る必要はないと思います。
「うまくなりたい!」「楽しい!」という思いを持たせてくれたラグビースクールの環境に感謝しています。

――――― 廣瀬さんのご両親はどのようにラグビーとかかわられていたのですか?

両親は私を子ども扱いしませんでした。いつも私の決断を尊重してくれました。
ラグビーのプレーに対しても一切何も言いませんでしたよ。

――――― 小さいころからラグビーをやることの意義はどのようなものなのでしょう?

ラグビーの特徴は、個性を生かせる点にあると思います。
たとえば、小さくても足が速ければ活躍できます。ポジションごとに、各自の得意な能力を生かせるのです。そのことは他者を尊敬し、協調性を養うことに繋がります。
くわえて「身体をぶつけるとこんなに痛いんだ」ということがわかります。このような経験を経て子どもたちは、限度を知ることになるのではないでしょうか。そして、痛みがわかるから相手にやさしくなれるのだと思います。
〝普通〟を問い直す機会としての国際交流。
――――― それでは、大きなラグビー旋風を巻き起こした南アフリカ戦の勝利について教えてください。

僕たちは24年間ワールドカップで勝利したことがないチームでした。だから、ラグビーワールドカップを迎えるにあたり準備することに注力しました。
色々なことがありましたが、やりきった状態でその日を迎えるこができました。試合の当日は、試合の勝ち負けを通り越して、とても澄み切った気持ちであったことがとても印象的です。
実際に始まると、自分たちが準備してきたことが、披露出来て、劇的な逆転勝利をすることができ、最高の経験となりました。
日本に帰国してから、ラグビーの注目度が上がっていることが実感できて、僕らの夢が叶ったことがとても嬉しかったです。
廣瀬俊朗さん ――――― 日本代表として数多くの国でプレーされた経験を持つ廣瀬さんですが、海外での経験を通して得られると思うことを教えてください。

海外経験というのは大きなチャンスだと思います。これまでの生き方を振り返る機会となります。
たとえば、人間らしく生きている海外の人を目の当たりにすることで、生きる上でのプライオリティを感じられます。日本なら会社、仕事が最優先とされることが多いですが、海外の方の多くは〝家族〟に主軸をおいている。そういうことを考えると、自分の最後に一番そばに何が残るのだろう…と考えさせられますからね。

大家友和さん ――――― 海外経験を通して体得するもの。子どものころから海外に触れるメリットってなんでしょう?

まず言葉が通じないという経験が衝撃ですよね。
日本語が全く通じない状況なんて、普通の生活では体験できませんから。
子どもたちは、そのような経験を通じて当たり前のことが当たり前じゃない時と場合がある、ということを理解できるのだと思います。
子どもスポーツ国際交流協会さんが進めているスポーツを通じた異文化理解の試みは、子どもたちにとってそのような経験を積ませるよい機会になっていると思いますので今後も継続的に事業を進めていっていただきたいです。 応援しています!
廣瀬 俊朗(ひろせ としあき) 1981年10月17日生まれ 大阪府出身

5歳のときにラグビーを始め、北野高校を経て慶應大学に進学。99年度U19日本代表、高校日本代表に選出される。2004年、東芝入社。 2年目からレギュラーとして活躍。07年主将就任(07‐11年度)。08‐09、09‐10シーズンではトップリーグプレーオフ優勝を果たす。09年のプレーオフ、MVP獲得。07年日本代表入り。12年にはキャプテンとして再び選出される。 15年ラグビーW杯では、日本代表史上初の同一大会3勝に貢献。通算キャップ28。ポジションは、SO、WTB。2016年、一般社団法人日本ラグビーフットボール選手会設立、同代表理事に就任。
写真協力:株式会社 東洋館出版社/聞き手:竹内実里(子どもスポーツ国際交流協会)

廣瀬俊朗さん
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2017年7月31日をもちましてプレゼント応募は終了いたしました。
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